唯我独論

ルアー・フライフィッシング、気象等に関する独論を綴る

楽しみの質とは?

えさ釣りをする釣り人達に私は聞いてみたい、「釣れなくても楽しい釣り」って有ると思いますか?と。多分、大多数が「釣りは釣れるから楽しいし、釣れてこそ楽しい、釣った魚を食べるのも楽しみだ」と言うだろう。他に何の楽しみがあるのかと逆に聞き返されそうである。釣りの最終目的は「ターゲットの魚を自分の手中に収める事」であると私も思う。えさ釣りを否定するつもりは無いし、ルアーしか経験していないルアーマンにとっては、むしろ参考にしてもっともっと学んだ方が良いとさえ思う。しかし、「手中に収める事」がそのままイコールで「楽しい事」に繋がるのかと言うとそうではないと思うのだ。ここで考えていただきたい、貴方のターゲットが7キロのスズキだとしたら、その魚が釣れない釣行は全て楽しくないのでしょうか。けっしてそうではないはずです。これはつまりルアー・フライフィッシング独特と言っても良い世界がそこに介在しているからだと思うのです。ターゲットを想像しながらルアーを揃えたり、フックを研いだりして準備しているワクワク感。自然の中に身を置き、ポイントの空気を胸いっぱい吸い込む満足感。ルアーをキャストする爽快感。バイトがあったもののヒットに繋げられなかった悔しさ…。バラしたけど魚とファイトできたことの充実感と挫折感。ルアー・フライフィッシングの素晴らしい所とは、これらの例のように「魚と接触する事なしでも楽しみとして成り立つ部分が多い事」「楽しみのレベルを自ら決定し、調整し易い釣法」だと思うのです。これからの「釣り」は、釣り上げるまでのプロセスの中で、いかにして楽しみを見出せるかが大切ではないのでしょうか。いや絶対に見出すべきであると私は考えます。そのプロセス自体が長くて難しいものであっても、それ自体が「楽しみ」であるならば、こんなに楽しい事はないじゃありませんか。「フィールドに出て実際に魚を釣り上げる事を楽しむのではない、釣り上げるまでの過程を楽しむのです。」