唯我独論

ルアー・フライフィッシング、気象等に関する独論を綴る

バスルアーとシーバスルアーの捻れ現象に関する考察

最近思う事がある、それはブラックバス用のルアーとシーバス用のルアーに捻れ現象が起こっていると言う事である。私の中の基準では、ブラックバスのランカーサイズは50cm以上、シーバスのランカーサイズは90cm以上となっているのだが、体長的には約2倍の差がある両者にもかかわらず、最近の注目されたり流行のルアーサイズの傾向として、ブラックバス用は大きく長くなる傾向にあり、シーバス用は小さく細くなる傾向にあるように思うのだ。

では、どうしてこのような現象が起こっているのかを私なりに考えてみると、まず始めにブラックバスとシーバスのゲームフィッシュとしての扱われ方やアングラー側の捉え方が違うという理由が思い浮かぶ。ブラックバスは、純粋にゲームフィッシングの対象魚として認知されていると思われるのに対して、スズキは今だにゲームフィッシングの対象魚であると共に、食用魚であると認知されている面を持ち合わせている事が否定できないと思われる。よって、ブラックバスは「釣る事・釣れる事」にのみアングラーは楽しみを見出しているので、様々な面白い形のルアーやド派手なアクションの大きなルアーも、「釣る事・釣れる事」をより楽しむ為のひとつのアイテムとしてアングラーに何の躊躇もなく使用させるものとなり得るのだ。しかし、シーバスは、「釣る事・釣れる事」の他に潜在的な意識の中の「食べる事」が入ってしまうことにより、純粋に「釣る事・釣れる事」を楽しむのが阻害され、どんな条件の時であっても「釣れなくては面白くない・たくさん釣れなければ面白くない」という潜在意識を芽生えさせ、安直で釣れ易い小さくて細いルアーが好んで使われてしまう要因になっていると思うのである。この潜在的な意識とは、魚食民族である日本人の本能であるとも思うので否定できるものではないが、これだけ欧米的な肉食中心の生活をするようになったのだから、もしゲームフィッシャーマンと自認するのであれば、自分が本気でゲームの相手とする魚に対しては、純粋なゲームフィッシュとして認知し、リリースによってゲームを完結するというスタイルになっても良いのではないだろうかと思う。

また、両者が生息している水域の違いというものが、流行ルアーの変遷にも関係している様に思われる。基本的に閉鎖水域に生息しているブラックバスは、何時も必ずアングラーの射程内に生息しているという安心でき得る理由からか、このルアーがダメなら次のルアーというような、魚に対する近い距離感での思考錯誤が繰り返される中で、創世記のハードルアーが当り前の時代から段々とスレることによりライトなワーム中心の釣りが全盛となり、今また目先を変えた大型ハード系に移行しつつある時期のような気がする。シーバスの場合は、基本的に閉鎖水域には生息せず、アングラーの射程に何時も居るとは限らない。むしろ居ない事の方が多いかもしれないという遠い距離感と不確定な要因から、段々と自分の投げているルアーに自信が持てなくなり、人間の心理として段々とルアーサイズを小さくしてしまったり、ブラックバスと同様にルアーに対するスレが進行していると仮定するならば、今がライトルアーの全盛時期となっているような気がする。もしシーバス用ルアーもブラックバス用ルアーと同じ変遷を辿るとするならば、もう少しすれば大型ハードプラグ全盛の時代が来る、という事になるのだが…。

誰が流行らせたのかは知らないが、現在注目されているブラックバス用の大型プラグは、実に理にかなった構造をしていると思う。その最たるものは、ボディをジョイント式にしている事である。アピールという点では、ボディが小さいよりも大きい方が良いのは当り前だし、アクションもある程度大きい方が良いのだが、理論・構造上、ボディを大きくすればするほど、アクションを出しにくくなる上にバイトした時のフッキング率も落ちるものなのである。たかだか50cm程度の魚に対して、20cm位のプラグを使うわけだから、その辺がシビアに解決されていなくては、釣れるものも釣れなくなってしまう筈なのだ。しかし、ジョイント式のボディにする事によって、ボディやリップに受ける少ない水流抵抗でもクネクネと大きくアクションさせる事が可能となるし、ボディのフレキシブル性が高まる事によって吸い込み易くなったりフッキング率が上がるのである。ジョイント式ボディは、絶対的アピールに勝る大型プラグを生かす為に、解決しなくてはならない課題を、見事に解決する一石二鳥の方法なのである。また、音という面でもストレートボディでは出せない独特の音をジョイントボディは奏でてくれるというアドバンテージもある。元々スズキ用の大型ジョイントプラグを使ったことのある私にとって、ブラックバス用大型ジョイントプラグの出現は、来るべき時が来たという思いではあるのだが、それにしても現在主流のシーバスルアーのショボイ事といったらあまりにも情けないものがある。サイズは13cm以下でウエイトも20g以下、浮力はギリギリまで抑えてアクションも派手過ぎず、付いているフックは細身の4番程度が3本、これが体長で約2倍の魚を釣る為の主流となっているルアーとは到底思えない。しかもスズキが生息しているのはブラックバスのような閉鎖水域ではない、もっともっとアピールが必要な無限の水域なのに…。

この現象について色々考えていると、結局は「貴方は何を楽しみにシーバスフィッシングをしているのですか?」という事が問われているのだと思えてくる。人それぞれに楽しみ方があるのは当たり前の事であって、それぞれを否定してはいけないと思う。しかし、「楽しみ方の質」というものには必ず高低が存在すると私は思う。どちらかというと日本の釣りと言うのは、低い質を量でカバーする事によって楽しみとしている傾向にある(魚食民族としての性か…)と思うのだが、これからの時代は高い質の釣りをする事によって少ない量であっても楽しめるような釣りが望まれるのではないだろうか。昔と比べて、間違いなくアングラーにとっての資源量は低下しているのだ。減りゆく資源との上手な付き合い方を今から真剣に考えても良いのではなかろうか。その為のヒントというかエッセンスが日本におけるゲームフィッシングの立役者であるブラックバス釣りの世界には少なからず有ると思うのだが。